@article{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02002289, author = {Kurafuji, Takeo and 蔵藤, 健雄}, issue = {48}, journal = {琉球大学欧米文化論集 = Ryudai Review of Euro-American Studies}, month = {Mar}, note = {認識的に解釈される法助動詞の意味分析として、しばしば(1)のような蓋然性のスケールが用いられる。\n(1)must>will>would>ought to>should>can>may>might>could\nこれによると、mustを含む文が話者の命題に対する確信度が最も高く、続いてwill,would,...となりcouldがもっとも可能性が低いということになる。must(p)がmight(p)より高い蓋然性を表すことは、例えば、前者が後者を含意することから分る。しかし、must(p)がshould(p)より確信度が高いという分析には納得できる程の根拠はない。\n本稿では、Kratzer 1981,1991で示された形式的分析を用いて、特に、mustとshouldの違いと日本語の「にちがいない」と「はずだ」の違いに焦点を当て議論する。Kratzerのアプローチでは、法助動詞を含む文‘modal(p)’の真偽は、様相根拠(modal base)と順序源(ordering source)の2つの基準によって制限された可能世界におけるpの真偽で決定される。must,will would,ought to,shouldを含む文は、関連する可能世界すべてにおいて命題pが真である場合、真となり、can,may,might,couldを含む文は、関連するすべての可能世界のうち、ひとつでもpが真となれば、真であると評価される。ここで問題にしているモーダル表現はすべて認識的なものであるので、それらは認識的様相根拠に基づいて解釈される。従って、mustとshouldの違いは順序源の違いであるということになる。本稿では、前者は特に順序源に関して制限を持たないが、後者は、stereotypicalな順序源(「出来事の通常の起こり方に基づけば」という意味の前提)でのみ評価されると主頚する。この違いにより、一見、must>shouldのような印象を受けてしまうのであると考えられる。また、日本語の「はずだ」はshould同様、stereotypicalな順序源で評価されるが、「にちがいない」はdoxasticな順序源(「話者が思っていることに基づけば」という意味の前提)に基づいて評価されることを示す。これにより、「にちがいない」と「はずだ」の分布の違いが理論的に説明される。, 紀要論文}, pages = {15--40}, title = {A Formal Account of the Epistemic Modal Scale : With Special Reference to Should, Must and Their Japanese Counterparts}, year = {2004} }