@article{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02005328, author = {Yamazato, Katsunori and 山里, 勝己}, issue = {28}, journal = {琉球大学語学文学論集, Ryudai review of language & literature}, month = {Dec}, note = {ホイットマンの力編「自己の歌」(“Song of Myself”)に首尾一貫した構造が存在するのかどうかという問題は、1938年の Carl F. Strauch の論文を契機に多くの批評家を刺激してきた。たとえば、Gay Wilson Allen, Malcolm Cowley, Roy Harvey Pearce, James E. Miller, Jr., そして最近では Harold Bloom などが、独自の批評的見地から「自己の歌」の構造について論じている。小論の主張は、ホイットマンの上記作品中26-38節がひとつの構成単位として読めるということである。テキストの分析には Harold Bloom の“the American Sublime”という示唆豊かな概念を援用した。エマソソの Nature における“a transparent eyeball”の一節を“the American Sublime”の原型と考え、そのパターンがホイットマンの上記作品、とくに26-38節にきわだって鮮明にみられるというのが小論の論点であるが、同時にまた小論における分析は、「自己の歌」全体の解釈にも有効に拡大し得るひとつの焦点をつくる試みでもある。, 紀要論文}, pages = {145--160}, title = {The Whitmanian Sublime: A Reading of "Song of Myself," Sections 26-38}, year = {1983} }