@article{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02005577, author = {長部, 悦弘 and Osabe, Yoshihiro}, issue = {1}, journal = {地理歴史人類学論集}, month = {Mar}, note = {北魏孝明帝代に勃発した六鎮の乱により混乱に陥った政局を、爾朱氏軍閥集団は収拾する方向へと舵を切った。爾朱氏軍閥集団は山西地域(太行山脈以西)の中部に并州(晋陽)及び肆州を中核として覇府地区を建設し、これを根拠地とした上で、孝明帝の没後南下して孝荘帝を擁立した上で河陰の変を引き起こして王都洛陽を占拠し、孝荘帝代には中央政府を支配した。自身の本拠地である覇府地区と王都を結ぶ線を中軸線に王都-覇府体制を確立して自身が実権を握る体制を打ち立てた。小論は、その実態を解明することを目的とする。先に第1章では爾朱氏軍閥集団が各地に人員を派遣した状況を概観した。第2章では爾朱氏軍閥集団構成員の京官への任官状況と実際の駐在地を検討し、京官任官者の実際の駐在地が覇府地区と王都洛陽に2分されることを確認した上で、第3章で洛陽駐在者の王都洛陽の中央政府を支配した方法を考察した。尚書省・門下省の要職に人員を配置して行政を握るとともに、王都内外の軍事を掌管する、近衛軍をはじめとする高級武官の多くを占めて、洛陽の軍事を牛耳ったことを明らかにした。本号所載の第4章では、覇府地区の京官任官者の就任官を分析し、爾朱氏軍閥集団の首領である爾朱栄が最も高い地位を兼務していたことを考察した。爾朱栄が鎮座する并州(晋陽)設置の覇府と連絡しながら、爾朱氏軍閥集団の下に王都洛陽の中央政府を置く、王都-覇府体制を構築したことを確認した。第5章では北魏の動乱の収拾に責献した爾朱氏軍閥集団構成員の尊皇意識がその背後に働いていたことを論じた。, 紀要論文}, pages = {17--32}, title = {北魏孝荘帝代爾朱氏軍閥集団再論(3) -王都-覇府体制を焦点にして-}, year = {2010} }