@article{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02007173, author = {武井, 弘一 and Takei, Koichi}, issue = {27}, journal = {人間科学 = Human Science}, month = {Mar}, note = {享保の改革では、享保7年(1722)に、いわゆる新田高札を立てることで、商人資本をもとに新田開発が進められたと考えられている。その実態を確かめるべく、琵琶湖、青野原・蜷子野新田、猪名川・藻川という3か所の動向をとらえた。その結果、新田高札でもって有力商人の協力をうながしたというのは誤りであることが判明した。すなわち、享保7年に幕府は新田高札を立てて新田開発を奨励したが、商人資本の開発そのものは幕府が問題ないと判断した場合のみに許されたのである。ところが、開発を奨励しても、耕地化しやすい低地の開発はピークに達しつつあり、利水・治水などの水問題を解決できないことも相俟って、耕地はあまり増加しなかった。, 未公開:論文中の〔図〕酒井村絵図は著作者の意向により削除, 紀要論文}, pages = {181--204}, title = {享保7年新田高礼の歴史的位置}, year = {2012} }