@techreport{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02007658, author = {麻生, 伸一}, month = {Oct}, note = {近世期の災害に関係する論考が多くあるなかで、琉球人の自然観、災害への通念を見通した分析は、とくに歴史学の分野では吃緊の課題である。そこで小論では、諸災害の前後に執り行われた祭祀や祭礼などの儀礼を取り上げ、それらの祭祀が行われた背景や意味について考えてみたい。小論で指摘した内容は次の通りである。第一に、大規模な災害後には国王からの使者が派遣され、祭祀が行われていたことを明らかにしたことである。先行研究でも指摘されているが、いわゆる「宮古八重山大津波」の発生直後には、王府から派遣された使者のはじめの役目が「御守札」を各村へ配布することであり、さらに蔵元跡地では被災者への追悼祭史が執り行われている。また、道光五(一八二五)年の「大風」被害に対しても被災地へ使者が送られ、各地においても同様の追悼祭祀が行われた。第二に、海難事故の被害者への追悼祭祀について、その背景を提示したことである。康熙六一(一七二二)年の進貢船の沈没、および乗組員の死亡を受け、琉球では天久崎で追悼祭祀が行われたが、その背景には、おそらくそれ以前に、福州で行われた致祭が影響していることを指摘した。第三に、国王と三司官で祭祀開催の是非をめぐって、意見が交わされていたことを指摘したことである。災害の原因と対処法に関する近世期の観念が如実に表れている事例であり興味深い。第四に、不審火を予防するために民間で祭祀を執り行っていたことである。災禍を取り除くための都市部の人々の動向の一部を示すことができたと思われる。, 研究報告書}, title = {近世琉球における災害・災禍と祭祀に関する一考察}, year = {2013} }