@article{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02008262, author = {Cheah, Pheng and チャー, フェン}, issue = {2}, journal = {International journal of Okinawan studies}, month = {Dec}, note = {学術的に多大な影響を与えた2000年の著作『帝国』で、マイケル・ハートとアントニオ・ネグリは、ポストコロニアル理論は行き詰まっているという議論を展開した。近代的な支配の形にこだわるコロニアリズムは、現代のグローバリゼーションにおいてもはや主要な権力として存在していないというのが彼らの論点である。彼らが「帝国」と呼ぶポストモダン的主権国家にも利点と弱点はあるものの、こうした主張に真実がないこともない。文学研究分野におけるポストコロニアル理論や文化批評は、19世紀ヨーロッパの領土的な帝国主義や植民地主義の経験を根本的なパラダイムとする抑圧や支配、そして搾取についての分析に端を発してきた。よって、我々がサイードのオリエンタリズム的言説や表象のシステムや、ファノンを書き換えたバーバの「植民地主義的言説における人種差別的ステロタイプ」や、さらにはスピヴァクのいう、植民地主義的法律や教育の文明化的プロセスを経てつくられていく「植民地主義における主体形成」の認識論的な暴力などというものを考察しようとするとき、ポストコロニアル的文化批評の異なる位相は、植民地化された主体が生じる瞬間に押し付けられる神話やイデオロギー、あるいは、様々な基準との関係において理解され、「精神主義的」あるいは「象徴的/想像的」な性質を強調し、「権力に対する共通理解」と結びついていく。本論では、まず、現代のグローバリゼーションにおける権力を、精神論的なものとして理解することは不適切であるという点について述べていく。すなわち、現代のグローバル資本主義において必然的に「女性化」している越境的労働力は三種類あり、その三つのタイプの女性の主体がどのように作られていくかを論じたい。そこには、外国による直接投資の体制下にある女性工場労働者、外国人家事労働者、そして人身売買されて来るかまたは別の理由で越境して来る性労働者などが含まれる。物質中心的なシステムにおける主体形成のプロセスが、どのようにしてポストコロニアルやフェミニストの理論に関わる中心概念を根本から再考することにつながっていくだろうか。, 論文}, pages = {81--94}, title = {Female Subjects of Globalization}, volume = {2}, year = {2011} }