@article{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02008383, author = {Till, Weber and Katja, Weiner and ティル, ヴェーバー and カーチャ, ヴァイナー}, issue = {60}, journal = {琉球大学欧米文化論集 = Ryudai Review of Euro-American Studies}, month = {Mar}, note = {ドイツは多文化の国で、様々な国籍を持つ人々が共に暮らしている。ドイツ全土では、16,9%がいわゆる移民の背景を持つ住民で、この割合がミュンヘンのような大都市では 30%を超えている。この実情は、もし今日のドイツ社会の実像をランデスクンデの立場から伝えることを目的にするのならば、日本の大学で使用されているドイツ語の教科書の中で反映されるべきではなかろうか。筆者達は、アンケートによってドイツあるいは日本において出版された、初心者用のA1レベルのドイツ語教科書のうち、最も頻繁に使用されている教科書を5冊ずつリスト・アップした^24。 これらの教科書の中で、非ドイツ人である登場人物が教科書の中で果たす役割について調査した。考察の結果、その役割は三つのカテゴリーに分類される:(1)言語構造の伝達者としての役割。学習者にドイツ語の言語的構造を伝えるが、ドイツの日常や素性は伝えない。(2)情報の伝達者としての役割。学習者にドイツでの日常生活を通じて、実用的な指針を与える。例えば、どうすれば部屋を借りることができるのか、銀行口座を聞くことができるのか。このカテゴリーの登場人物は、自分自身に関する個人的な情報をより多く提供する。(3)文化の伝達者としての役割。自分自身と自分の故郷の文化を前面に出しているものの、ドイツ人社会に統合されている。単に言語構造や事務的な情報のみならず、例えば家族生活での現代の役割分担と言った価値や考え方も伝えている。ドイツで出版された5冊の教科書では、数多くの非ドイツ人の登場人物が、上記の三つのカテゴリーすべてに言及している。特徴的なのは、架空のドイツ語コースである。最初に様々な国出身の参加者達が紹介されている。その際、,,studiod“のような比較的古い教科書では、A1レベルの初心者である彼らが、複雑で誤りのないドイツ語を話し、CDでも訛りのないドイツ語となっている。これは明らかに実情とは異なっている。これに対し、,,Schritte International"のような教科書では、実験的に訛りのあるドイツ語が使用されている。以上のことから、多くの教科書執筆者らはドイツ社会の多様性を、非ドイツ人を通じて紹介していると言えよう。この努力が、今回調査した日本の教科書では欠けている。ドイツ語圏出身でも、日本出身でもない登場人物はごく稀であり、しかもカテゴリー1の言語構造の伝達者である。その代わりに、数多くの日本人の登場人物が、教科書の中でドイツ語の母語話者に出会う。これにより、ドイツという国は同種の、長い間そこに居住したドイツ人のみが住む国という誤ったイメージが生じてくる。恐らくこれは、自分の国は同種の、しかも言語・文化的にも統一された一つの国であるという日本人の自己認識の鏡像なのであろう。日本入学生を対象としたドイツ人のステレオタイプに関する最近の研究 (Grünewald 2005, Sato-Prinz 2011) は、ドイツ語の教科書は、学生達がドイツについて実際のイメージを描き、それを通じて学生達にインターアクションや滞在の準備をさせるのに寄与する代わりに、単に古いイメージを再生産し、それを強調しているにすぎない、と警鐘を鳴らしている。, 紀要論文}, pages = {23--44}, title = {Paco Rodriguez oder doch Jule Müller? Welche Funktionen haben nicht-deutsche Figuren in DaF-Lehrwerken? Eine Untersuchung moderner A1-Lehrwerke aus Deutschland und Japan}, year = {2016} }