@article{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02008934, author = {長部, 悦弘 and Osabe, Yoshihiro}, issue = {37}, journal = {人間科学 = Human Science}, month = {Sep}, note = {北魏孝文帝代は、北親史上国家体制の一大転換点とみなすことができよう。476年に始まる文明太后講氏の臨朝聴政下では、484年に班禄制を立て、485年に均団法を頒布し、486年に三長制を敷いた。490年の文明太后馮氏の亡き後、孝文帝親政下で491年に第1次、499年に第2次官制改革を各々遂行し、493年には洛陽遷都を敢行し、496年は姓族詳定を推進した。なかでも493年の平城から洛陽への遷都は、北魏史上領域支配体制の中心たる王都を『農業一遊牧境界地帯』から『農業地域』に移した一大事業であったと言える。孝文帝が国家体制の中枢機関の1であった尚書省を最重視して、自身の手により人事を行った。かかる大事業を尚書省を基軸に推進したとみられる。孝文帝代後期洛陽遷都事業と平行して、孝文帝は平城洛陽行に加えて、洛陽一環州、卜鄭行、洛陽一平城行・南斉親征行など盛んに移動した。孝文帝は、上記の移動時には、平城・洛陽両地を不在にした。小論では、孝文帝の不在期間中、平城・洛陽両地を留守した主要人物を検討した。, 紀要論文}, pages = {13--70}, title = {北魏孝文帝代の尚書省と洛陽遷都(7) : 宗室元氏の尚書省官への任官状況に焦点を当てて}, year = {2017} }