@article{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02010416, author = {Young, Victoria and ヤング, ヴィクトリア}, journal = {International journal of Okinawan studies}, month = {Dec}, note = {1990 年代の「沖縄ブーム」以来、「沖縄文学」は、文学のジャンルとしての地位を確立するようになる一方、沖縄の作家による文学作品を、主流文化が同化または着服/横領(appropriation)するという状況ももたらすことになった。2006 年から2008 年の間に文芸誌『すばる』に発表された崎山多美の「クジャ連作」は、米軍基地の陰で「淵のマチ」として存在する「クジャ」という場を描いた7つの短編小説で構成されているが、それらは、主流文化が沖縄文学に抱く期待に抵抗し、さらにそうした期待を転覆する描写で知られている。本稿では、崎山の言う「淵」の意義に注目し、フェミニスト文学批評におけるエクリチュール・フェミニンという概念や「翻訳」の理論を援用しながら、崎山の文学に対する新しい読みの可能性を探りたい。, 論文}, pages = {19--32}, title = {Translating the "Abyss" in Sakiyama Tami's Kuja Stories}, volume = {5}, year = {2014} }