@article{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02012213, author = {琉球大学西洋近現代史ゼミ and 池上, 大祐(解題) and Seminar of Western History, University of the Ryukyus and Ikegami, Daisuke(bibliographical introduction)}, issue = {9}, journal = {地理歴史人類学論集, Journal of Geography, History, and Anthropology}, month = {Mar}, note = {「久松五勇士」とは、日露戦争時の 1905年、宮古島近海に出現したロシアのバルチック艦隊接 近の情報を、日本本土の大本営に向けて打電するために宮古島から電信基地のある石垣島へ向か った、宮古島久松地区の漁夫たちのことである。日露戦争の趨勢には直接的には寄与しなかった ものの、その「勇敢さ」がのちに各時代の文脈に応じて顕彰されていく。特に 1920~30 年代に は国語読本(稲垣国三郎が推進)の教材になったり、海軍記念日の式典でも扱われたりと、ナシ ョナリズムおよび戦意を高揚させていく装置として機能した。日本との一体性というニュアンス は 1960年代の記念碑建立の時期まで残存したが、1980年代からは宮古島久松の「海人」という ローカル・アイデンティティ形成に利用された。, 紀要論文}, pages = {19--32}, title = {宮古島のなかの世界史 : 「久松五勇士」像の形成過程}, year = {2020} }