@article{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02019427, author = {仲座, 栄三}, issue = {1}, note = {明和大津波によって陸上部に打ち上げられた岩塊の分布を明らかにし,それらの石を「津波石」と命名したのは牧野(1968年)であった.牧野が調べ上げた津波石の分布は,沿岸域のみでなく,島の内陸奥深くまでにも達し,標高40 mを越え,古文書に記録されている津波遡上高28丈2尺(約85 m)をも想像させるものとなっている.また,牧野は,宮良湾内の河川などの低地を南側から遡上して内陸部に侵入した津波と,東海岸の轟川河口付近の低地を東側から遡上して内陸部へ侵入した津波とが島の中央部で合し,すり山を抜けて島の反対側へと流れ込んだものと推測している.本論は,牧野が調べた陸上部に打ち上げられた津波石の分布を補足する形に,海側に引き流された津波石の分布を新たに明らかにし,牧野の津波石分布や古文書記録とも照らし合わせて,明和大津波の遡上や引きの挙動について分析している.その結果,牧野が推定した津波挙動の殆どが,ほぼ妥当なものとして具体的に浮かびあがっている.また,津波に引き流された岩塊等の堆積は幸いにも浅いサンゴ礁内に多く,当時の遺物が数多く埋もれている可能性が推測され,考古学的発掘調査が急がれることが指摘されている.}, pages = {27--37}, title = {石垣島及び多良間島の海に引き流された津波石の分布が語るもの}, volume = {5} }