@article{oai:u-ryukyu.repo.nii.ac.jp:02019807, author = {益田, 理広 and Mashita, MIchihiro}, issue = {12}, journal = {地理歴史人類学論集}, month = {Mar}, note = {本稿は天地なる概念の東洋に於ける空間の典型たることを議す。古今の諸書より天地の空間と定義せられたる事例を徴し、以て之を証するのである。且つは各々の天地概念の定義と異同とを論じ、其の内実の解明に努むる。何となれば則ち、未だ知られざる東洋地理学理論の中枢に坐す東洋独特の空間概念を求むるがためである。是の故に本稿は自づから一篇の天地論史を為す。されど字数の限りも有れば、本篇の録するは周代より隋唐に至る間の所説に止まる。先づⅡ章では先秦の天地即空間の論の淵源を求め、『周易』『管子』『老子』を参照した。殊に『周易』は天地に空間の義を認むる最古の例として注意を惹く。同書は天地を以て無際限の規模を有する万物共在の処と為すが、此れは空間の定義として過不足なき者として大なる意義を有し、既に『管子』も其の類例の一と為すべき所がある。或は『老子』の天地論も後代の議論の先蹤と目せらるるが、其の文章の玄妙は注釈に依らずしては解するに難い。是に於てⅢ章では『老子』を能く説ける漢魏晋の玄学を検め、其の天地論を分析した。同章に例示せるは漢の河上公、魏の阮籍、晋の葛洪の所説である。此の内、河上公は『老子』の天地に『周易』の論を合して明瞭な定義を与うるに於て画期を為す。阮籍、葛洪の両氏も亦た『周易』『老子』を併せ論を為すが、天地を以て非空虚の空間と為すに於て河上公と論を違える。されば此の新説はいづこより生ずるか。之を知るべくⅣ章では漢儒の天地論を参観する。ここでは董仲舒、揚雄、王充の所説を確認し、其の天地論が『老子』を介さず空虚としての定義を欠くこと、更に、天地を以て万物の所在にして其の根源と見ることを論じた。是を以て、魏晋の玄学の非空虚の説も蓋し漢儒より生ぜりとの知見を得るに至る。Ⅴ章では隋唐の天地論を概括した。当代は諸教の共に興隆する所であれば儒道仏の三教の全てを考慮したが、外来の仏教は固より天地論を説く所僅かであった。然るに本稿の論ずるは道教に連ぬる王玄覧、王冰、玄宗、並びに儒学に通じ訓詁を能くする孔頴達、李善らの所説である。此の二教は共に天地を以て空間と為す所有ると雖も、其の定義に於ては対立を見る。即ち道教の諸家は天地を有限と為すこと屡々であるに対し、儒家は往々にして之を無際限と説くのである。就中、孔頴達の所論は詳密を極め、天地を以て時空間と為し、一なる無より万物を生成する局限と固定との要件と論ずる者であった。又た李善らによる『文選』の注釈が詩歌を介して天地即空間の論を経学の外に知らしむるも均しく見るべき変化である。以上の論議に由り、本稿は先秦より唐代に亙る期間に於て、天地が常に空間の義を内包することを証明するに至った。無論、天地の定義は各人各代一様ならざる所もあるが、それは一貫して空間と解するに不足無き概念である。}, pages = {1--75}, title = {天地精義:空間概念としての天地(一)}, year = {2023} }